そこで見つけたのが
超恋愛論
です。吉本 隆明作で大和書房から出ています。
超恋愛論
吉本 隆明

定価: ¥ 1,470
販売価格: ¥ 1,470
おすすめ度:

発売日: 2004-09
発売元: 大和書房
発送可能時期: 通常4日間以内に発送
近代化の失敗と不透明な恋愛の未来
明治以降の近代化の失敗が文学者の恋愛・結婚の挫折を通じて語られる。一対一の同棲が究極の理想とする吉本は、そうした理論的基盤「対幻想」を巡ってかつて、家族がうまく言ってない蓮見や柄谷に批判された。かといってあくまで「究極の理想」は日本の近代化が完遂していないと考える吉本にとってあくまで未来像であり、吉本自身もうまくいっているとは言ってないのである。
打開策として、「事実を覆う幕を最後まで取っ払うこと」という希望が語られる。それが文学であり、それができなければ文学は現実に負けたことになる、と。(吉本自身できてない、と。)
「男と女は個人としてでなく伝統、文化、歴史を背負っており、それらにそうとう自覚的にならないと、恋愛を日常生活に着地させるのは難しい」
特筆すべき点として幼児虐待は夫より子供を可愛がる結果、とある。
恋愛を描いたいいものとして、ルソーの「告白」を挙げる。
マゾヒスティックな快楽を描いて通俗に落ちず、文化史的な意味を感じさせるのはルソーの見識である、という。ここにおいても日本近代は敗北している。
ちょっと簡潔すぎる気もする。されど、吉本の「恋愛論」
最近の吉本の著作にはいちいち「超」の字がつくが、これは「超恋愛論」。吉本隆明というのは根本的にロマンチストなのだと思う。自分の弱さや狡さのようなものを表に出さざるを得ないタイプの人間で、それが却って彼の強さになっているような気がする。「細胞同士・遺伝子同士が呼び合う」などという曖昧な表現を臆面もなく使うところはやはり文学者なのだなと思うし、一夫一妻制を理想的な男女関係と見たり、まともな恋愛は結局顔だの地位だの表層的な部分を越えたところで成り立つのだといったところも彼ならではだ。現代社会というのは男女の「対幻想」を成就するためには様々な制約のある空間ではあるけれども、それでも一組の男女が一生添い遂げるのは人類の理想だというのである。いずれにせよ、まともな恋愛をしようと思えば、表層を引っぺがして互いの内面に入っていかざるをえないし、今日でさえ、それは大部分真実であり続けているはずだ。そして、文学者の多くが自分をさらけ出すことに躊躇しており、それは文学という営為を裏切る行為なのだという結論である。至極もっともである。
国家をまだ信仰対象にしている人がいるのは、国家が宗教だから
最近の吉本さんの本と同じように聞き語りの形式をとっている。内容は恋愛論そのもの。「恋愛とは覚醒剤をのむようなもの 今まで寝ていた神経が起き上がっていきなり自分が活性化する」(p.30)みたいな、もうストレートパンチの続出。これまで言ってこなかったなことだな、と感じたのは第4章の結婚制度のゆくえで「意味を認めていなかった婚姻届というものの意外な重さを実感したとき」。
吉本さんは前書きでも書いているのだが、事実婚でいいと思っていたが婚姻届を出すという行為は重要なものだと気づき、それは「一種の宗教的な行為なのではないかということです」(p.6)と語っている。「法律の中にはほんのわずかですが、「法」というものの本質が含まれていて、そこには無視できないものがあります。その無視できない部分というのは、たぶん宗教的な行為につながってい」る、と。
それを詳しく書いたのが4章で「法律はもともとはるか昔の宗教に由来するもので国家もまたそこから生まれた」(p.147)という部分では、いまの日本の若い人たちの中で国家、国家と言っている人がいるのには驚かされるが、「考えてみれば、国民国家というものは、宗教のもっとも新しいかたちなわけですから、強固な信仰の対象であり続けているのは仕方ないことなのかもしれません」(pp.148-149)というまとめは見事だった。誰も評価しているのを読んだことはないのだが、吉本さんの聞き語りの文章は本当に読みやすい。